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東京高等裁判所 昭和55年(う)217号 判決

被告人 坂口富夫

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、被告人本人及び弁護人木川恵章作成名義の各控訴趣意書に、これらに対する答弁は、検察官栗田啓二作成名義の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、ここに、これらを引用する。

被告人の控訴趣意のうち、道路標識の適法性を争う点について

所論は、要するに、原判示交差点の路端に設置されていたの標識は、左折だけを禁止するものか、右折、左折の両方を禁止するものか明らかでなく、これを左折だけを禁止するものであるとした原判決の判断は不当であり、同交差点の向う側に設置されているの標識は、規制標識として適式なものかどうか疑問がある、というのである。

原裁判所が取り調べた関係各証拠を調査すると、

一  原判示交差点は、神奈川県川崎市幸区小倉方面からほぼまつすぐに南南西に進み、同県横浜市鶴見区矢向六丁目二〇番九号先でわずかに右にわん曲し、更に同区江ヶ崎方面に向けてほぼまつすぐに南南西に進む幅員約八・二メートルの道路と、右のわん曲部のほぼ中央から左折して東南東に進み、同区矢向駅方面に向かう道路とが丁字型に交差する交差点であること、

二  被告人が普通貨物自動車を運転して来た前記小倉方面から右交差点を望むと、江ヶ崎方面に通ずる道路は、前記のとおり右にわん曲はしているけれども、おおむね直進する形になつているのがわかるのに対し、矢向駅方面に通ずる道路は、ほぼ直角に左折する形になつているのがわかること、

三  所論の標識は、前記小倉方面から交差点入口の手前の左側の路端に、の標識は、右小倉方面からの道路の正面で矢向駅方面に通ずる道路の向う側にそれぞれ設置されているもので、いずれも青地に白の矢印の記号が入れられていること

が認められる。ところで、道路交通法四条五項に基づく道路標識、区画線及び道路標示に関する命令二条、三条によると、指定方向外進行禁止を表示する規制標識は、青地に白色の記号を入れた円型の標示板に示されている矢印の方向以外の方向へ車両が進行することを禁止するもので、三一一のAからEまでの五種類の様式が定められており、その中に前記の記号は含まれているがの記号は含まれていないことがわかる。しかし、右三条別表第二の備考一の(一)の1によると、「指定方向外進行禁止を表示する規制標識に係る記号は例示とする。」旨規定されているのであるから、の標識が右の五種類の様式に含まれていないからといつて、不適法であるということはできない。そして、の標識は現場の形状にも合つているのであるから、これが適式な規制標識であることはいうまでもないことである。問題はの標識である。これが現場の形状に一致しないものであることは否定できないが、右現場は前記のように、わん曲はあるものの、おおむね直進する形になつており、他には紛らわしい道路がないのであるから、左折を禁止する規制標識として、なお有効なものと解するのが相当であり、この点に関する原判決の判断は相当として是認することができる。論旨は理由がない。

弁護人の控訴趣意第二の三のうち、交差点入口の左側路端に設置されていた規制標識の効力を争う点について

所論は、前記小倉方面からの交差点入口の手前の左側の路端に設置されていたの規制標識は、本件当時視認不良で規制標識としての機能を失つていたものである、というのである。

原審で取り調べられた司法巡査作成の道路標識撤去報告書によると、右道路標識は、本件後の昭和五三年一一月二八日に、老朽のため腐食しており、視認状況が悪いために撤去されたことが認められるが、司法警察員作成の実況見分調書及び原審証人中込正文の供述によると、右標識は、本件当時、その約六〇メートル手前から視認可能であつたことが明らかであるから、所論のように規制標識としての機能を失つていたものということはできない。論旨は理由がない。

弁護人の控訴趣意第一及び第二の一ないし六、並びに被告人の控訴趣意のうち、過失を争う点について

所論は、原判決が、被告人が原判示交差点から左折するすぐ前ころ、被告人運転の普通貨物自動車の直前を先行直進した大型車両は存在しなかつたと認定したのは事実を誤認したものであり、被告人が左折禁止の場所であることに気付かなかつたことについて、被告人には過失がない、というのである。

しかし、原審証人阿部重男の供述によると、たまたま被告人の違反を発見したというのではなく、警察官である証人が、本件当時、指定方向外進行が禁止されている本件現場の近くで違反の取締りをするため、原判示交差点の角付近を見ていたところ、被告人車が右禁止に違反して左折して来たのを現認したこと、被告人車が左折する直前にも、直後にも、直進したり左折したりした車両はなかつたこと、当時は交通が閑散であつたことを証言しており、その信ぴよう性に疑いを抱くような事由は存在しないから、原裁判所が右証言を信用すべきものとして、所論のように認定したのを事実誤認であるということはできない。しかも、仮に被告人がその検察官事務取扱検察事務官に対する供述調書で述べているように、荷物を積んだ四トンの普通貨物自動車の後方を約一〇メートルの車間距離をおいて追従して進行して来たところ、交差点の直前で同車が停止したので、同車の約五メートル位後方に続いて停止し、同車が発進し直進した後被告人も発進して左折したというのが事実であつたとしても、原判決の掲げる関係各証拠によると、自動車運転者としての通常の注意をしておれば、被告人が原判示交差点入口に近付き、一時停止し、発進して左折を始めるより前の段階において、前記道路標識、区画線及び道路標示に関する命令八条、九条によつて原判示交差点の入口の手前約五メートルの道路面に設置されている、車両は原判示交差点から右にわん曲して直進すべきものであることがわかる長さ六・六メートルのペイントによる指示標示及び前記の規制標識があることを認識することができたことが明らかである。また、前記供述調書によると、被告人車の前にいた普通貨物自動車は、原判示交差点から右にわん曲して直進したというのであるから、そのすぐ後に前記の規制標識も見える状態になつたものと認められる。そして、交差点に入る自動車運転者は、交差点付近に設置されている道路標識等に注意し、その指示するところに従わなければならないのであるから、被告人が右の指示標示及び規制標識に注意することなく左折が禁止されていることを知らなかつたのは、被告人の過失であるという外はない。なお、所論は、前記の規制標識は、規制標識なのか警戒標識なのかよくわからないものであるから、過失であるとはいえないともいうが、右標識が規制標識であることは既に述べたとおりであるうえに、仮にそのいずれであるかがよくわからなかつたとしても、そのことは過失を否定する事由にはならない。論旨は理由がない。

被告人の控訴趣意のうち、取締り方法の違法をいう点について

所論は、本件違反の取締りに当たつていた阿部巡査は道路交通法の目的を知らず、また、その取締りをした場所は、交通の安全上危険なところであるから、取締りそのものが違法であるというのである。

しかし、所論のようなことは、被告人の本件犯行の成否とは関係のないことである。論旨は採用の限りでない。

弁護人の控訴趣意第二の七、八について

所論は、被告人の本件過失行為は、違反になる区間がごく短かく、しかもそこを安全に走行したのであるから、可罰的違法性がなく、これを有罪にしたのは法令の適用を誤つたものである、というのである。

しかし、道路交通の安全を維持するためには、自動車運転者が法令に従つて正しく自動車を運転することがきわめて重要な事柄であるから、所論のように違反区間が短かかつたとか、安全に走行できたとかというような理由によつて、行為の可罰的違法性が失われるものではない。論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用につき刑訴法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 新関雅夫 坂本武志 小林隆夫)

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